「兎姫レプス」(後編)





　ちょうど同じ頃合。

　黒太子ノスタルクの部屋。

　「工場は変更された。

　彼の命令は実行されなかった。

　彼等は彼に勝ったのだ。

　しかし彼は『自分自身の誇りは維持することが出来る』と彼等に話した。

　それは無作法な言語だった。

　そこで彼等は彼を彼等のリーダーの元に連行した。

　彼等は彼を喜ばせなかった。

　彼等のリーダーは，彼の全ての汚い口を使って独力で満たされた。

　その行為は厳粛でさえあった。

　彼らは彼等が持っていた平安を持っていなかった。

　新しい起源は私と彼等によって始めることが可能かも知れない。

　あるいは，彼らはエナ（Ena）に話し掛けることが出来るかも知れない。

　不名誉なことだが，私の妻及び彼女等が選んだ全ての方策を実行しなければならない。

　＊彼等に魔術を伝授せよ。

　＊彼等の男根を切断せよ。

　＊彼等に薬草を導入せよ。

　そうすれば彼等の自己想像は更に実行される。

　その巨人は最高値3000腕尺に達する潜在能力を持っている。

　彼らは，その大きさに急に到達することが可能なのだ」



　「意味不明の文章だな」

　羊皮紙に書かれた古代ルクレア文字を訳しながら黒太子は呟いた。

　「Enaとは誰だ？」

　「彼とは？

　「彼等？」

　「多分，彼等が巨人で，Enaは彼の妻なのだろうが」

　「工場はノセロアの生物兵器研究施設で作られた変種のウイルスの培養工場か」

　「全ての汚い口を使って独力で満たされる行為？」

　「口唇性愛と肛門性愛か」

　「拷問としても，おぞましいものだな」

　ノスタルクは若干12歳ではあるが，その魂は暗黒竜インリに完全に支配されている。

　フェラチオもアナルセックスも行為自体は別段インリ教で禁止されたものではない。

　日常茶飯的に行われていると考える方が自然であろう。

　何しろ淫祠邪教のインリ教なのである。

　インリ自身，ありとあらゆる性戯に通じていても不思議はない。

　何しろインリ教の御神体そのものなのだから。

　だからといってインリ教の教義にはなく，性典に書かれている訳でもない。

　とすると，インリ自身は斯様な行為に及んだことがなかったのかも知れない。

　あるいは，口唇性愛は兎も角，肛門性愛は経験がなかったのかも知れない。

　少なくともノスタルクの身体を乗っ取って以来，同性を相手にしては。

　ノスタルクが金色の鈴を２−３度振って鳴らす。

　扉の向こうに控えていた警護の兵が入ってくる。

　「御呼びでしょうか？」

　「アルノタイを呼べ」

　「はっ！」

　警護の兵が出てゆき，程なくして馬面の愚鈍そうな男が入ってくる。

　アルノタイ・ジェッフレイ・モンテス・スヴィトサクダン。

　30手前になる警護兵である。

　如かして，その実体はノスタルク直近の「影の軍団」を率いる秘密工作員である。

　このガブリ神殿の金庫番２名を殺害し，金庫から「戦いの書」を含む機密書類を奪取し

たのも彼の仕業だった。



　「影の軍団」とは帝国の裏面で暗躍する暗黒忍軍の仮の名称であり，その実態は明らか

にはされていない。

　単に「影」あるいは「軍団」と呼ばれ，軍団員は数字でのみ呼ばれる。

　アルノタイというのも本名ではなく仮名であり，その数字は45だった。

　「45号，此処に見参」

　「うむ。どうやら獣人選択性致死ウイルスの噂は本当だったようだ」

　「はっ」

　「ノセロアの何処かで開発され，培養工場が何処かに移転されたことだけは判った」

　「はっ」

　「配下の者を使い，移転先を特定せよ」

　「はっ」

　「出来得るなら，そのウイルスを奪取して参れ」

　「はっ」



　翌朝早く。

　祭祀長の部屋。

　「どうだ？」

　「神殿内に賊の存在は確認できず，また，現時点で神殿から外部に出ていった者は猫の

子１匹居ませんでした」

　「そうか。引き続き神殿内外の警備に務めよ」

　「はい」

　警備隊長が出ていく。



　一方フェブルは，ぐっすりと眠るレプスをベッドに残し，身支度を整え，大食堂へ。

　長大なテーブルの一角に陣取り，レプスの姉妹と思われるメイドに声を掛ける。

　「何か飲み物をくれないか？」

　「カルディーで宜しゅう御座いますか？」

　「何でも構わんよ」

　「少々お待ち下さい」

　「うむ」



　「お待たせ致しました」

　「うむ」

　人兎がソーサーに伏せられた薄い白磁のコーヒーカップを引っ繰り返し，揃いのポット

から熱い琥珀色の液体を注ぎ込む。

　「このガブリ神殿で栽培された豆から挽かれたカルディーで御座います」

　「ほう」

　「是非ストレートで御飲み下さいませ」

　「うん」

　「宜しければコッフェ発見の御話を致しましょうか？」

　「是非にも」

　「はい」

　人兎がにっこりと微笑みながらフェブルの左横に腰掛ける。

　「或る日のことでした。山羊飼いの少年が，放し飼いにしていた山羊達が恐ろしく興奮

しているのを発見し，不思議に思います」

　「少し苦いね」とフェブルが苦笑い。

　「御砂糖とミルクを少し御入れしましょうか？」

　「頼む」とフェブルが笑いながら。

　フェブルは余程の甘口と見える。

　人兎が砂糖とミルクをフェブルのカップに注ぐ。

　「如何でしょう？」

　フェブルがゴクリと一口。

　「美味しい」

　「良かった」と人兎，笑いながら。

　「続けてくれ」

　「はい。で，調べてみると，山羊たちは丘の中腹に自生している潅木の赤い実を食べて

いることが判明しました」

　「ふむふむ」

　「羊飼いの少年は，このガブリ神殿の祭祀官に，この話を持って参りました」

　「なるほど」

　「偶然，このガブリ神殿の中に薬学に秀でた祭祀官がおりました」

　「うん」

　「それで試しに食べてみると，気分が爽快となり，身体に活力が漲ってきました」

　「ほう」

　「その少年の名前をカルディーと申します」

　「なるほど」

　「こうして魔法の不眠薬カルディーが，このガブリ神殿で栽培されるようになりました」

　「ほう」

　「今では，この西ウェセロアだけでなく，東ウェセロアでも大々的に栽培されるように

なっています」

　「確かに眠気が醒めるね」

　「はい」と人兎がにっこり。

　そこへ偶然通り掛ったアヴェタ祭祀長。

　「宜しいですかな？」

　「どうぞ」

　アヴェタがフェブルの左横に着席する。

　慌てて人兎が起立し畏まる。

　「私にも濃いカルディーを一杯頼む」

　「はい」

　人兎が厨房へと急ぐ。

　「良く眠れましたかな？」

　「御陰様で」

　実はフェブル，レプスとの甘く熱い夜を送っていた為，殆ど一睡もしていなかったのだが。

　「それはそれは」

　「実は祭祀長殿に所望の儀が」

　「何ですかな？」

　「火竜ハウルへの手土産に，是非とも此処の兎を数匹連れて行きたいのですが」

　「なるほど」

　「許可願えますか？」

　「御随意に」

　「有難う御座います」



　そのころノスタルクの部屋では，警戒が厳重で神殿から出ることが出来なかった暗黒忍

軍の軍団長が，黒太子の元に報告に上がっていた。

　「了解した」とノスタルク。

　「如何致しましょう？」

　「大して急ぐこともあるまい」

　「はっ！」

　そのときノックの音が。

　「トントントン」

　「入れ」とノスタルク。

　警備兵が入ってくる。

　「失礼致します。

　「何だ？」とノスタルク。

　「フェブル様が御話したい儀があるとのことで宜しければ此方に伺いたいと申しております」

　「分かった。30分後に此方に参るよう申し伝えよ」

　「はっ！」







　「さて，このガキをこのままにはしておけんな」

　45に憑依した暗黒竜インリはベッドに横たわるノスタルクを見やりながら呟いた。

　「私が戻ってくるまで大人しく眠っていて貰おうか」

　インリは強力な睡眠魔法をノスタルクに掛ける。







　「盲点だった。暗黒竜が，あんな雑魚に憑依しているとはな」

　ルシエルが，暗黒竜の逃げ去っていった虚空を見上げながら言った。

　「フェブルの具合はどうか？」

　フェブルに回復魔法を掛けながら金烏のひとりが答える。

　「危険な状態です。残念ながら右腕は永遠に諦めざるを得ないでしょう」

　フェブルは痛みを抑えるため強力な催眠魔法を掛けられ眠っている。

　「イシュラムと同じか」

　「はい」

　「アトルス！」

　「はい，父上」

　「フェブルを，そこの金烏２名と共に，ソリスヴァリスのイシュラムの館にまで移送しろ」

　「はい」

　「あそこにはイシュラム用に開発された義手の予備がある筈だ」

　「はい」

　「医療スタッフも揃っている」

　「はい」

　「早急にな」

　「はい」

　「イシュラムに会ったら，私がこう言っていたと伝えろ」

　「はい」

　「この男は，おまえの弟だと」

　「は？」

　「お前とルコス，そしてマデリンには腹違いの兄に当たる」

　「え？」

　「早く行け」

　「はい」

　アトルスが巨大な金色のケツアルコアトルに変身し，金烏たちがフェブルを巨鳥の背に

乗せる。

　ルシエルが究極結界魔法の呪文を唱え，フェブルたちにシールドを張る。

　大気中に散らばる微粒子を集めた薄い光の幕で包み込み，高速移動でのダメージを和ら

げるためである。

　アトルスが巨大な翼で上空に舞い上がる。

　アトルスの変化したケツアルコアトルの翼長は，古代ルクレアの遺伝子工学が生んだ，

究極の生命体クエスの半分弱ではあるが，それでも70ｍ近い。

　飛行速度は最大マッハ４を超える。

　ソリスヴァリスまでは直線距離で約3500キロ。

　３時間とは掛からない。







　レヴィより逃亡したレプスは，東ソセロアにあると噂される，フィリスのルシエル教団

ウェセロア本部を目指す。

　レプスの護衛には，追放された北ウェセロア黒豚族の王子グイル，ウェセロア川の水虎

ダヴィ，有尾オグルのヘル。

　完全な人型形態を取れるようになっていたルコスとアトルスの姉弟。

　そしてルコスとアトルスの異母妹でありナギの娘でもある水竜マデリンが仲間に加わっ

ている。



　有尾オグルというのは，インリによって月の裏側に連れていかれることなく地球に残っ

た人猿の末裔である。

　オグルより体躯は小さく，未開のジャングルに隠れ棲み，樹上で生活するものも多い。

　当然のことながら，ガブリによって遺伝子再操作を受けたオグルとは違い尻尾がある。







　「うん？」

　フェブルが街の広場の一角で見知った男を発見した。

　自分の右腕を奪った暗黒竜インリに憑依されていた元影の軍団長45号の薄汚れた顔を。

　「惨めなものだな」

　襤褸を纏った，みすぼらしい男を遠くに見やりながら，フェブルが呟く。

　「どうします？」

　フェブルの部下が訊いた。

　「好きにさせておけ。屑に構う必要はない」

　「はっ！」

　フェブルに屑呼ばわりされた男は，通りすがりの市民を相手に大声で与太を飛ばしていた。

　酒に酔ってるのかも知れない。

　あるいは精神に異常をきたしているのかも知れない。

　「我は最高神インリである。これから点呼を取る！」

　余りに，しつこく絡むので，終には市民によって引き倒され，足蹴にされてしまう。

　近くで遊んでいた子供たちも寄ってきて小石をぶつける。

　操られていたとはいえ，一度でも神となった人間の末路は哀れを誘う。







　西ウェセロアに上陸した黒太子は北ウェセロアに拠点を移し，更に，その後，東ウェセ

ロアに移動，火竜ハウルを従わせることに成功する。

　これはイシュラムの館での治療を終え，銀の腕を付けて戻ってきた魔都の銀狐フェブル・

エレヴェンスの力によるところも大きかった。







　　　　　NEXT　　　TOP