エディス





　穢れの地エディス。この世界唯一の被爆地帯である。古代ルクレア帝国最大の都市で

あり，最後の拠点でもあったルクレア遠西地方の巨大都市エディスは，押し寄せる百万の

オグル軍を壊滅させるため，一部の皇族や貴族たちのみが地下シェルターに逃げ込み，

歴史上初の戦術核兵器戦を展開した。当時も現在もオグルは核など保有したことがない

のだから一方的な屠殺であったと書いた方が余程正確な評論であろう。結果，オグル軍も

壊滅したが，取り残されたルクレア人一般大衆も数百万人が被爆した。黒死病の流行や

長雨による飢饉も相俟って，死者は至る場所に放置され，人が人を，親が子を喰う恐ろし

い地獄絵図がエディスに於いては普通に見られた。残留放射能の影響でエディスは草も

生えない呪われた地となった。今から2000年程昔の話である。そのエディスの中心に高さ

500m近い石造りの巨大な塔が立っていた。この白い巨塔は＜天空の塔＞と呼ばれた。

敷地面積は250000ｍ2，往時は直径500ｍの完全な円錐形だったが，度重なる戦争と時

の流れから現在では高さも半分程に朽ち果ててしまっている。崩壊した塔の周囲には石

材が散乱し，後には，その石材でオグルたちの家屋が周辺に無数に建築された。しかし

居住したオグルたちも残留放射能の影響で尽く死滅した。つまりオグルからも取り残され

た呪われた地が西の都エディスである。



　天空の塔の地下に逃れた古代ルクレア人たちは東の地に残った皇統とは別の国家を

打ち立てていたといって良いだろう。そのためエディスの貴族たちを＜エディシス＞と呼ぶ

場合もある。汚染された天空の塔の科学技術は2000年に渡る悠久の時の中で半ば失わ

れながらも継承され続け，ある意味＜黒魔術＞として，あるいは＜錬金術＞として完成さ

れていた。古代ルクレアの遺伝子工学や生命分子学，脳生理学は＜人体改造＞というモ

ンスターの製造技術やオグル絶滅のための＜最終ウイルス兵器＞の研究として連綿と受

け続けられていた。特定種族のみを攻撃する致死性のウイルスの研究は，オグルを含む

獣人のみ殺傷可能といった段階まで，既に80％程度の完成をみている。このオグル絶滅

計画のコードネームは＜パンドラ計画＞と呼ばれている。また新種のモンスター＜改造人

間＞も，蛙男や蠍男，蜘蛛男，蝙蝠男，蟷螂男などが既に実験と称して各地に投入され

ていた。完璧なる兵士の創造。脳改造技術は完全に失われていたので，主として洗脳技

術によりオグルを改造した妖魔を各地の実験施設に投下していたのだが，洗脳が解け，

その地で山賊や海賊，盗賊と成り果てているものも多い。そこで最近では獣人の殺人衝

動を抑制する秘薬ＭＲＳＬ＜ルシソタン＞の技術を応用して，１ヶ月に一度，薬剤の投与

を受けないと細胞の壊死が始まるという新しい技術も確立された。また改造技術の安定

により，ルクレア系種族からのモンスター製造にも目鼻が付いた段階である。これにより，

志願兵によるコントロールの容易なモンスターも近い将来には登場する目算が立った。コ

ントロールされた妖魔によるパンドラ・ウイルスの無差別的生体実験――現在，この研究

は，既に仕上げの段階を向かえている。研究の中心は＜死神＞と呼ばれるエディスのル

クレア貴族出身の医学博士であり，彼の下に＜新ルクレア帝国化学細菌兵器研究所＞

が設置されている。別のグループでは，もう少し穏健にオグルの人口抑制の研究とか，遺

伝子操作によるルクレア貴族の＜神＞への変容を目指す優生学研究も行われている。ま

た光の神ルシエルや雷神イシュラムから離れ，暗黒神インリや月の女神ガブリへと接近し

ようという神学的転換を唱える不遜で過激なグループさえ存在する。そのグループの意を

受けた極秘の研究集団もある。宇宙空間でのルシエルとの戦いで肉体を失い月の裏側

の暗黒世界へと放逐されたインリの魂を呼び戻そうという試みである。中心人物はプリロ

ア出身の下級貴族ロガン・ロランド・マルクエズ・ギルリスという男であり，自らの意思でオ

グルに姿を変え，インリ教の下級祭祀官や民間魔導師として魔都やモンテアダマンに潜

入した実績を持つ。人狐の血を引くとも言われる如何わしい経歴の持ち主であったが，召

喚能力を買われ，＜天空の搭＞上層部を操るルクレア遠西地方のとある大貴族に利用さ

れている。尤もロガンに言わせれば＜全てはギブ・アンド・テイク＞の関係なのだろうが。

これらは全て先年ソセロアのヴィリスとリグロアの間の大渦で確認されたルシエルとナギ

の争いに端を発している。これにより懸念されていた光の神ルシエルの帰還が現実のも

のとなったのである。この争いに先立つスンリゴネレトの戦いに於いて，こともあろうにル

シエルやイシュラムは獣人やルクレア平民を主体とした新国家構想を明らかにしたと言わ

れている。更にルシエルの子として認知されたリグヴィルなる海賊の首領をエディス皇統

に代えてルクレアの正統とする構想をも持っていると噂されている。ルシエルの意を受け

たエクセルシスの連中の大半は既にアディス２世を見限ったとも伝えられている。これが

事実なら現在のルクレア貴族に立つ瀬はない。光の帝国ルクレアの終焉――それが今，

当に現実になったのである。







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