「錬金術師リグヴィル」
光暦4042年，42歳になったリグヴィルは，マリスに城を構え，ラトリとの間に何人もの
子を儲け，海賊稼業や盗賊稼業で財を成していた。
海賊行為や盗賊行為自体は，実は副次的な生業であって，実際にはルクレアとソセロア
の間での密貿易が主たる財源だった。
飢餓に苦しむソセロアにルクレアの農産物を運び，ソセロアからは金属加工品等の工業
生産物をルクレアに持ち帰る。
基本的な錬金術である。
妨害するオグル海賊やオグル盗賊は実力で排除する。
また，ソセロアやルクレア各地の港では娼館を営んだりもしていた。
リグヴィルは配下の海賊衆や盗賊衆に対して，勝手な略奪や陵辱行為を堅く禁じていた。
その分，他のオグル海賊衆たちよりも給与を高めに設定し，月のうち10日ほどある
公休日には完全なる自由を与えていた。
更にリグヴィルは配下の性欲の捌け口となる娼婦を抱える娼館経営に直接乗り出した。
娼館は烏たちの立ち寄り先となり，情報収集の要とも，秘薬の密売所ともなった。
また，温泉設備や宿泊設備も極上のものであり，賭博場も併設された娯楽面は元より，
衛生面でも，当時，最高の施設だったと言って良い。
賭博施設自体は，リグヴィル自身の考案だったという説もあるくらいである。
娼館の下働きとしては，多くの人狸衆が雇用された。
リグヴィルによってソセロア全土の娼館の経営を任されたのは，リグヴィルの義父でも
あるソセロア人狸族長ヂャウス・シメオン・アリエスである。
リグヴィルの娼館経営を社会道徳的に如何なものかと問う声は多い。
しかしながら，戦争に付き纏う性的暴力等を防ぐ手段は，これ以外にはなかった。
そして，それに伴う性病の流行を抑えるためにも，是非にも必要な悪行だったと言って
良いだろう。
しかも，リグヴィル以前の娼婦たちの待遇は，リグヴィル以後のそれに比べて天国と地
獄ほどもの差があった。
身売りで娼婦となったオグル少女も確かに多かったが，それでさえ，最低限度の文化的
生活は完全に保障された。
娼婦たちは，戦時には特別手当を支給され，従軍慰安婦として戦地に赴くことにもなる。
リグヴィルの傭兵隊が，当時，最も規律的な軍隊だったという裏には，こういったカラ
クリがある。
確かにリグヴィルは兵を育てることには定評があった。
リグヴィルの，義の教師としての才能は，兵の教育にこそ，如何なく発揮されたと言っ
て良いだろう。
持って生まれた王者としての威厳と，正逆のようにも思える人誑しの才。
リグヴィルは略奪や暴行とは無縁の潔癖な軍隊を作った。
リグヴィルは虐殺とは無縁の聖別された軍隊を作った。。
リグヴィルは公正な裁判と公平な給与制度を敷いた。
もちろんこれは，リグヴィルの，指揮者としての，常勝無敗のカリスマ性も忘れること
が出来ないのは言うまでもない。
負けない将に付き従うのは生き残る最善の方法である。
しかしながら，兵の士気が高かったのには，別に理由を求めた方が妥当であろう。
単に給料が良かっただけの話に過ぎないといった別の理由を。
リグヴィルの錬金術は軍を賄い，賄われた軍はリグヴィルの錬金術を支える。
リグヴィルの軍隊は，将は３つ，兵は９つの階位に分かたれ，それぞれの給与は滞りな
く支給されていた。
また，リグヴィルは，戦死者の家族や戦病者に対するアフターフォローにも大変気を使
った。
戦死は尽く２階級特進であり，独自の恩給制度が戦死者の家族や戦病者の生活を支えた。
ある日，リグヴィルの長子であるマラド（MARAD）は，ルクレアの西隣にある，プリロア
東部の小豪族ルビドゥスピヌス（RUBIDUSPINUS）の元に使いに出される。
そこで嘗て，父リグヴィルと共に旅をしたことのある忍者盗賊ヴァレの話を聴き，内戦
の激化する帝国の内情に興味を持つ。
魔帝国は60年程前，当時の魔帝（Magical Emperor）の急死によって，その後継者を目指
す邪悪な者どもの間で骨肉の争いが生じた。
最終的には２人に集約され，ひとりは魔都を掌握し，いまひとりは魔都の北方700キロ
にある鄙びた場所に逃れ，霊的な防衛を施した新しい宮廷を構えた。
俗にいう南北２統の分裂である。
以後，２つの皇統は皇位継承を巡って対立関係にあった。
魔都パキシスに居を構える南の魔帝の裔にも，ラルショルク・ノヴァ（LARSHOLUC－NOVA）
に移った北の魔帝の裔にも，義はなかった。
そしてまた，どちらの魔帝の裔にも君主の徳を持つものは生まれては来なかった。
光暦4020年頃より，反オグル・反帝国の運動が各地で活発化し，政情不安を巻き起こす。
ルクレア地中海では海賊衆が縦横無尽に暴れ捲くり，ソセロアでは反オグル武装戦線
「蠍」が通商破壊を繰り返していた。
4024年の冬には，海賊衆や盗賊衆など総数1000余の兵を率いて，西ルクレアのポルタ-
デウス（PORTADEUS）を襲撃，都雛に遍く勇名を知ら示す。
事件の発端は，捕縛された盗賊衆の奪還に端を発した小競り合いだった訳だが。
この事件は穢都エディスに蔓延るインリ暗黒教団の蠢動と殆ど時期を同じくしている。
先の戦いでイシュラムに重傷を負わせ，ルシエルによって倒された暗黒竜インリの魂は，
長らく宇宙空間を彷徨っていたが，この時期，漸く地球圏に舞い戻ってきていた。
また，この時期，廃城オグルストルを拠点に，ミニングルやファルグル，烏衆やワー
クリーチャー等による新たな反帝国組織も誕生しつつあった。
この獣人たちの離反は，満月期の抑え切れない狂躁状態を緩和する特効薬MRSLの流通に
端を発している。
これにより獣人たちは，オグルの守護神である太陰神ガブリの頚木から解き放たれたの
である。
特に反オグルの急先鋒だった人狼たちは俄かに活気付き，反オグルの秘密組織「狼」を
結成することとなる。
この「狼部隊」結成には，ルクレアに隠然たる勢力を持つイシュラムの尽力があったと
も噂されている。
また，鴉衆は魔都に潜入し，放火や略奪，要人暗殺などのテロ行為により，魔都のオグ
ルを恐怖させた。
光暦4027年，政情不安の間隙を縫って，暗黒神インリの加護を受けた北朝の皇子ラレト
（LARETHRHT）がクーデターを起こし，２統は統一される。
このクーデターには魔都の銀狐と呼ばれるフェブル・エレヴェンスの深い関与があった
とされている。
フェブルは後に宮廷魔術師のリーダーとなり，闇夜の鴉との戦いで名を成すこととなる。
クーデターから３年は新魔帝ラレトの諸改革は成功だったと言って良いだろう。
しかし4030年に起こった全世界規模の大干魃が齟齬の始まりだった。
民は飢え，疫病に倒れるものも多かった。
そして4033年，古今未曾有の大暴風雨が帝都を直撃，帝国全土に甚大な被害を与える。
大旱魃といい，大暴風雨といい，光の神ルシエルの命を受けた水竜ナギの仕業だとは，
魔帝国内の誰が知っていたであろうか。
そして，ここに魔帝国の政情は俄かに混乱を極める。
このころフェブル・エレヴェンスは魔帝ラレトの命を受け，各地の反政府勢力をオルガ
ナイズして廻っていた。
時を同じくして，この頃より魔帝ラレトは女色に溺れ，政務を執ることを一切しなくな
ってしまう。
これはラレトの側近として採用されたインリ教の高位の聖職者ロガンの影響によるもの
だという説が濃厚である。
程なくして，フェブルとも因縁の深い，淫祠邪教の徒であるロガンを中心としたインリ
教団上層部による恐怖政治が始まる。
これはインリ教団の一枢機卿に過ぎなかったロガン・ロランド・マルクエズ・ギルリス
がエディスに於いて失われていた暗黒神の召喚魔法を発掘したことに端を発する。
そしてロガン枢機卿は，インリ教団内部を，暗黒神による完全なる恐怖で支配すること
に成功するのである。
教団内のロガン反対派は尽く粛清され，最盛期には，ロガンの影響下にある聖職者は，
９割を超えたと伝えられている。
この老枢機卿ロガンは，プリロアの貧しい民間魔術師の家系に生まれ，中年期までは，
帝国各地の霊山に於いて修行を積んでいたらしい。
ロガンは，白地に塗り潰しの赤い円が描かれた旗を国旗に定め，狂帝ラレトを称える歌
を国歌と定めて政教の完全統一を図る。
更にロガンは，この「国旗国歌法」が遵守されているかどうかを監視するため，教会軍
の一部を割いて「倫理更正の騎士団」を設置する。
「倫理更正の騎士団」は魔都に近西地方とプリロア，狭義のルクレア，西ルクレア，
南ルクレア，東ルクレア，ソセロアを統括する司令部。
西の都に中西地方，遠西地方，近南西地方，中南西地方，遠南西地方を統括する司令部。
そして東の都にウェセロアを統括する司令部を設置して全世界を支配した。
家々には愛国心を高揚する目的で呪われた国旗が掲げられ，あらゆる場所で忌まわしい
国歌が歌われた。
「私たちの君主で在らせられる神聖なる皇帝陛下の御世が，1000代も8000代も未来永劫
続きますよう御祈り致します。
細かな石くれが巨大な岩と成り変わり，そしてその岩に苔が生える，そのときまで永遠に」
旗を掲げないもの，歌うことを拒否するもの，声の小さいものは倫理の騎士たちによっ
て拘束され，投獄され，処罰された。
皇帝への忠誠心を表明しない臣民など，国家には必要でないだけでなく，危険思想を抱
いた非国民であり，逆賊であり，朝敵である。
不敬であり，国賊であり，売国奴であるとされた。
魔帝に即位したラレトは粛清に次ぐ粛清，弾圧に次ぐ弾圧を重ね，反対勢力から「狂帝」
（Lunatic Emperor）と呼ばれ，恐れられた。
実質は暗黒竜インリの憑依したロガンの傀儡に過ぎなかったのだが，それに気付いた者
は皆無だった。
「朕が新儀は未来の先例たるべし」
しかし苛烈な恐怖政治は配下の将軍たちからも忌み嫌われ，4040年，遂に南朝の忘れ形
見を擁した勢力によって魔都パキシスを追われることとなる。
経緯はこうだ。
最初に火が点いたのはラルショルク・ノヴァに程近い宮廷魔術師たちの拠点のひとつ，
モンテマダマン近郊に於いてであった。
モンテマダマンにルクレア皇統のアディス２世の中央政庁が置かれていることを鑑みる
に，恐らくは何等かの連環があったことは想像に難くない。
人狐たちの反抗は反狂帝的立場の諸侯に支援され，次第に勢いを増す。
もちろん背後には，宮廷魔術師内部に隠然たる影響力を持つ魔都の銀狐フェブルによる
煽動があったのも事実である。
フェブルは予てから，狂帝を操り堕落させたインリ教団上層部の，独裁的，絶対主義的，
全体主義的方向性に疑問を持っていたのである。
倫理更正の騎士団内部にも，インリ教団内部にも，狂帝の突然の変貌を訝しむ声が巻き
起こり，枢機卿ロガンに罷免を突き付ける事態にまで発展する。
ロガンはフェブルとの交戦によって捕らえられ，舌と全指10本を切り取られて，遠国に
流刑となる。
未だロガンに憑依していた暗黒竜インリの魔力は完全ではなかったということなのだろ
う。
インリはロガンの身体を抜け出し，次なる宿主を求めて魔都を流離う。
政情の悪化に伴い，変装してラルショルク・ノヴァに逃亡しようとした狂帝を，反乱軍
に潜入していた闇夜の烏が看破し，これを捕縛する。
拘束された狂帝は仇敵である金烏衆の本拠に護送されることになった。
反乱軍首脳部に，自らの手を汚さず，金烏衆によって狂帝を亡き者にしようという邪な
心理が働いたのであろう。
反狂帝派諸侯によって廃位された狂帝ラレトに代わって，南朝の皇子リグストリクが新
たなる魔帝として擁立され，即位する。
狂帝派は，ルクレア東部と古都ラルショルク（LARSHOLUC）を擁するラルペア（LARPEA）北部
で抵抗を試みるが，圧倒的な反狂帝派軍の前に，完全に崩壊する。
忍者盗賊ヴァレはルクレアからプリロアに跨る盗賊ギルドの重鎮であり，反帝国組織
「闇の土蜘蛛」や｢狼｣などの設立に尽力した影の功労者である。
そのため，後世＜盗賊の神＞として祀られることとなる。
ヴァレは，彼の出身母体でもあるソセロアの反オグル武装戦線「蠍」とも，未だ親交が
深く，エクセルシスとも深く繋がっていた。
忍者としてのスキルを獲得したヴァレの，オルガナイザーとしての才は巧緻を極めた。
ルシエルの命を受けた金烏衆は獣人たちへの差別政策を完全に革め，ミニングルやファ
ルグルとの関係改善をも模索していた。
そこで先例として成功していたソセロアの反オグル統一武装戦線方式を全世界規模に拡
大すべく，リグヴィルやヴァレ，そして「蠍」に協力を仰いだという訳だ。
また，盗賊ギルドや魔術師ギルドを接点として，オグル内部にもシンパを獲得する方策
に出た。
敵の敵は須らく味方とすべし。
リグヴィルやヴァレは金烏衆の依頼を受け，帝国内の反政府主義者たちの懐に飛び込む。
海賊や山賊，そして盗賊など，悪党と呼ばれる連中の懐に。
東プリロアのルビドゥスピヌスも，そういった反政府主義者のひとりだった。
ルビドゥスピヌスは地方の小豪族に過ぎなかったが，オグルにも拘らず，ファルグルや
ミニングルはおろか，獣人までをも，部下のオグルと対等に扱っていた。
その無骨だが清々しい立ち居振る舞いに，マラドは好感を持った。
帝国では歴代の魔帝が，ファルグルやミニングルなどオグル以外の種族を，長期に渡り
虐待してきた。
その詳細を知らされ，マラドは義憤に駆られ，帝国打倒を心に誓う。
また，帝国に身を売った嘗ての貴族やファルグルの存在をも聞き知ることになる。
以下はヴァレの話の抜粋である。
嘗ての特権階級であった貴族やクレルグルは，ファルグルやミニングルからは逆に蔑ま
れている。
貴族やクレルグルは旧態依然の態度でファルグルやミニングルを見ている。
所謂，階級闘争の名残である。
獣人や巨人は，ファルグルやミニングル，クレルグルから蔑まれていて，貴族からは人
間扱いさえされていない。
同じ獣人でありながら，オグルは自らを唯一無二の「ひと」だと称しているので，他の
獣人や巨人に対しては激しい近親憎悪を抱いている。
特に人狼に対しては徹底的な弾圧を加えている。
所謂，犬猿の仲である。
当然のことながら，オグルは犬を飼わない。
その代わり，捕まえたミニングルやファルグルの首に鎖を掛け，番犬代わりに飼ってい
る皇族や貴族も存在する。
犬や人狼に対して激しい敵意を持つオグル。
そんなオグルが，不思議と人狐だけは宮廷魔術師や宮廷鍛治師として重用している。
恐らく人狐が人狼の不倶戴天の敵であり，敵の敵に対するシンパシーが存在するものと
思われる。
敵の敵は須らく味方とすべし。
ＮＥＸＴ ＴＯＰ
