「ウェセロアの銀狐」
光暦4051年，ウェセロアの地に動乱の時代が始まる。
暗黒竜インリの魂が憑依した狂帝の第３皇子である黒太子ノスタルクは魔都の銀狐フェ
ブル・エレヴェンス等に率いられ，西ウェセロアのナラブに上陸する。
とは言え，制海権はマリス艦隊に奪われて久しいため，手漕ぎ舟を乗り継いでの，苦難
のウェセロア潜入だった。
ナラブ（NARAB）には暗黒竜インリの擁護者であり，月の女神でもある太陰神ガブリを
祀るガブリ教の総本山がある。
ガブリ教団はナラブのガブリ神殿を中心に，世界各地に４万とも言われる末端の支部を
誇る。
しかし数十年前にルシエル教団によって，満月期の狂躁状態を緩和する特効薬である，
MRSLが発売されて以降，嘗ての賑わいはない。
ガブリの頚木を解かれた大半の反オグル系ワークリーチャーは，現在ではルクレア系の
神々を信仰するようになっている。
あるいはまた，主に獣人たちの間で，リグヴィルを予言されていた救世主ミスラと同一
視し，崇拝する教義が広まりつつある。
これが後世の歴史書に書かれることとなる世界規模での同時多発的なミスラ教の大流行
である。
恐らくは，烏衆の歩き巫女による類い稀なる教宣活動の成果であろう。
ガブリ教に残ったのは，オグルと，オグルの中で宮廷魔術師や宮廷鍛治師として重用さ
れていた人狐と，人兎，人狼，人狸の一部くらいであろう。
人兎は，太古よりガブリ教団で巫女として務めてきた関係から，その多くが未だガブリ
教から離れられないでいた。
この物語は，その兎族の巫女レプス（Lepus）と，銀狐フェブル・エレヴェンスを中心
に織り成されることとなる。
当時ノスタルクは12歳であり，フェブルとの付き合いは，狂帝に東部方面軍司令官を命じ
られて以来だから彼此２年になる。
フェブルは既に50代前半の筈だったが，未だ30前後の風貌にも見受けられる。
長年の友人であり，部下でもあり，そして執事役だったガストンも今は既になく，常に
戦場にあったため，未だ独身の身の上だった。
兎族の巫女レプスは，ガブリ教団上層部からフェブルの身の回りの世話を言い付けられ
る。
ナラブに上陸したノスタルクとフェブルの一行は，ガブリ神殿を根拠地として，簒奪者
レグプロフからの，帝国奪還の戦いを開始する。
オグルの暗黒帝国は，これより２年程前，レグプロフが前魔帝の皇后を無理やり犯し，
孕ませ，産ませた，ウォルスリグが第98代の魔帝に即位していた。
レグプロフに擁立されて即位した前魔帝リグブリは帝都の宮殿奥深くに軟禁されていた
が，皇后の妊娠を知り，怒りのあまり憤死した。
この話を伝え聞いた北都の狂帝は，第３皇子を西半球に，そして第２皇子を東半球に派
遣し，帝国奪還のための大きな賭けに出た。
しかし第３皇子率いる総数5000からなる大艦隊はルシエルによって沈められ，15万の兵
が第３皇子と共に海の藻屑と消えた。
第２皇子のノスタルクはフェブル・エレヴェンスの護持を受けてパルスに上陸，東ソセ
ロアを中心に活動を開始した。
しかし反レグプロフの烽火は，ソセロアでは野火の如くは広がらなかった。
しかも翌年には父であり暗黒竜インリの魂を宿す凶帝が52歳で死去してしまう。
暗黒竜の魂は第１皇子である皇太子を選ばず，何故かパルスに拠点を移していた第２皇
子のノスタルクに憑依する。
霊的には光の神ルシエルにも匹敵する暗黒竜インリと，ルシエルの御子であり，ミスラ
の異母兄でもあるフェブル。
彼等は，嘗てルシエルに叩かれたとはいえ，ウェセロアでは相変わらず侮れない勢力を
維持している火竜ハウルと，その眷属たちの力を借りることを思い付く。
支配の王錫から解放されたハウルは，仇敵である水竜ナギがルシエルの愛人になってい
ることもあり，話次第では必ずや味方してくれるであろう。
そこで大半の軍をパルスに残し，僅かな供を随えてナラブへと潜入してきたという訳だ。
しかし，このときガブリ教団の上層部では恐ろしい計画が進められていることを，神で
ある暗黒竜も，神の御子である銀狐も知らなかった。
神でさえ知らない恐ろしい計画。
それはガブリ教団でも上層部を占有しているクレルグルたちのあいだで密かに推し進め
られていたミッションだった。
オグルを含むワークリーチャーのみを選択的に攻撃し，死に至らしめる究極の生物兵器
の開発。
嘗て古代ルクレア人を存亡の危機に立たせた恐怖のウイルス。
そのウイルスを元に開発された新たなる致死性の生物兵器。
これを使ってオグルによる暗黒帝国の支配を覆し，ルクレア系種族の復興を図ろうとい
うのである。
当時のオグル人口は凡そ２億であり，それに対してルクレア系４種族の合計は凡そ１億。
ウイルス攻撃によりオグルの人口を半減させることが出来れば互角の戦いに持ち込める
という腹積もりだ。
どうやら裏で糸を引いているのは，南方に逃れた古代ルクレア貴族か皇族の末裔辺りら
しい。
恐らくは，未だノセロアの氷原にでも生物兵器の研究施設を保持していたのであろう。
そして，その意向を汲んだ古代ルクレア聖職階級の末裔であるクレルグルが動いたという
のが真相なのではないかと思われる。
古代ルクレアの，庶民の末であるファルグルやミニングルの関与があるのか否かは現在
のところ不明である。
ただ，ルクレア系の神々であるルシエルやイシュラム，そしてミスラとして覚醒しつつ
あるリグヴィル，４大神龍や創造神は全く関知していないことだけは言えよう。
彼等が，彼等の信奉者である獣人たちの抹殺に手を貸すことなど有り得ないと言って良
い。
もちろんそれはガブリやインリでさえもである。
因みに，この当時，ワークリーチャーの総数は４万７千だったと記録されている。
巨人族は３千。
古代ルクレアから連綿と続く皇族や貴族は，37万2577家，約200万人。
上級貴族である公爵家19，侯爵家89，伯爵家567，子爵家2140，男爵家8828，そして，
下級貴族である準男爵81501，騎士279432が確認されている。
公爵家のうち，万騎長と呼ばれる８人の大貴族は，大公と呼ばれることもある。
また，侯爵のうち，千騎長以上の貴族は，大侯と呼ばれることもある。
貴族の何割かはエクセルシスの支配下にあるが，それ以外の貴族は，半ば自立して隠棲
している。
古代ルクレア帝国はエディス１世に始まり，エディス２世，エディス３世，エディス４世，
エディス５世，アレクシス１世，アディス１世と続き，アディス１世の時代に，オグル
の侵攻によって亡国の憂き目を見る。
エディス１世は，リグヴィルやフェブル同様，直接，光の神ルシエルから聖油を注がれ
た者だとされている。
また，エディス５世の逝去後，エディス５世の弟だったジョニス大公が皇位を簒奪する
が，エディス５世の長子だったアレクシス１世によって倒されている。
アレクシス１世の時代には，この世界＜アルトロア＞全土を平定し，アディス１世の時
代には月への有人飛行も果たしている。
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