闇夜の烏





　夜になった。満天の星の下，冒険に出てから最初の夜を迎える。リグヴィルは自ら名付

けた＜蝦蟇殺し峠＞近くの池のひとつを選ぶと，そこに野営した。枯れ枝を集め，指先か

らの小火球で火を熾し，里の者から買った甘芋を幾つか焼いて，それを食した。水は近く

の湧き水を空になった葡萄酒の瓶に汲んでいた。食事が済むと横になり，羽織っていた魔

術師のローブを体に掛けて眼を閉じた。眼を閉じたままリグヴィルは，

「聴こえてるな？　闇夜の烏」と，普通に話す大きさの声を暗がりに放った。

　答えはなかった。

「山賊のアジトを探し出し，そこの財宝を館まで運んどいてくれ」

　答えはない。

「経緯も，有りの儘に」

　そして眠りについた。





オグルの渡し守ブラフィー





　朝になり，坂道を下った先の漁村に着いたリグヴィルはマリスからリグヴィルの手漕ぎ

舟を回送してくることになっているブラフィーと合流するため，鈍色の海を眺めながら時間

を過ごす。漁師から獲れたばかりの魚を買い，それを捌いて貰い，それを肴に砂浜でオグ

ル漁師に混じって酒を飲み，談笑しているうちに日が沈み，夜が更けた。こうして冒険３日

目は何の事件も起きることなく幕を閉じる。



「聴きましたよ，旦那」開口一番，にこやかにブラフィーが声を掛けてきた。リグヴィルが起

きる前に，昨日リグヴィルが一緒に飲んだ漁師たちから聴いたのだろう。多少，話は大きく

してしまったかも知れないが大まかなところでは嘘を吐いていない。

「山賊相手に大活躍だったらしいですね。あっしも拝見したかったすよ」

「はは」

　リグヴィルも笑顔で応える。

「旦那と呼ばれる年齢でもないのだが」と多少不満ではあったが。



「この舟でソセロアに渡れるのか？」リグヴィルが古びた木製の一枚帆の小舟を見やりな

がら不安そうに訊いた。

「天気も崩れなさそうだし，多分大丈夫でしょう」潮妬けした笑顔でブラフィーが答える。

「任せる」

「ところで旦那，お食事は，お済みで？」

「いや」

「旦那の口に合うかどうか判りませんが」と，ブラフィーが干した烏賊や蛸，そして干した

魚と蒸留酒を，あまり清潔とは言えない袋から取り出す。

「昨日よりか少し舟が揺れるかも知れません」

「そうか」

　昨日，ポルトヴァリスからマリスへの舟旅では海が凪いでいたこともあって船酔いとは無

縁だった。ソセロアまでも島伝いなので問題はなさそうだが，所詮は天候次第といったとこ

ろか。ブラフィーにとっては，それよりも，どちらかというとオグル帝国海軍の方が多少不

安だった。リグヴィルの剣技は充分知ってはいるが，船上での戦いは至近距離の相手と

ばかりとは限らない。漁師に聴かされたリグヴィルの山賊退治の話は眉唾ものである。

妖魔は現実だが攻撃魔法など所詮は御伽噺の中だけの話だろう。妖魔が出現したら，そ

れまでの話だ。オグルであろうが，いと高き人々であろうが海の妖魔には抗すべくもない。

ブラフィーも海の男として幼い頃から，その覚悟は出来ている。それよりも帝国海軍だ。

この辺りの海賊なら殆どが顔見知りであり，正直，何とでもなる。しかし正規の海軍はタチ

が悪い。代官所の役人を斬ったリグヴィルについての手配書が回っているかも知れない。

仮に手配書が回っていなかったとしても非オグルのリグヴィルは不審人物として当然のこ

とながら捕縛されてしまうだろう。俊足を誇る海賊船ならまだしも，この一枚帆の手漕ぎ舟

程度では海軍艦艇の船足には，どうしたって適わない。遭遇しなければ良いのだが。

　しかしブラフィーの心配は杞憂にしか過ぎなかった。上質なファンタジー小説では，ここで

シーサーペントやらクラーケン，レヴィアタン等の襲撃を受け，舟が沈み，漂流するか，あ

るいは海賊の襲撃を受け，奴隷の身に落とされるか，あるいは急な天候の変化により海

の藻屑と消えたりするのだろうが，生憎と，これは決して上質ではない類いの単なる与太

話である。それにリグヴィルは運が良い。オグル帝国海軍の艦艇に出合うことはおろか，

海賊にさえ出会うこともなく，海の妖魔の襲撃もなく，天候が崩れることさえなく，無事に北

ルクレアへの渡航に成功する。面白くないと言えば，それまでなのだが。



　



「これからどうします？　旦那」

「宿に泊まろう」リグヴィルが答えた。

「一緒に来るか？」

「はあ」

「馳走しよう」

「じゃあ御馳になりますか」といった，やり取りがあり，リグヴィルとブラフィーは手漕ぎ舟を

近くの漁師に預け，そして宿を探すため，北ルクレアの主都メルビスの街に繰り出した。

＜熱砂の大陸ソセロア＞とは言え，北ルクレアの大部分はルクレア本国と向かい合う地

中海性気候の温暖な地である。建物は概ね石造りであり，風俗もルクレアと大して変わら

ない。

「女はどうします？」

「欲しいか？」

「旦那次第ってことで」野卑た笑いでブラフィーが答える。

「どちらでも構わないが，先ずは美味い物が食いたい」

「合点！」

　ブラフィーはリグヴィルから離れ，道行く人に何やら訊ねると，小走りにリグヴィルの元に

戻ってきた。

「あっちに美味い活魚料理で評判の料亭があるそうです」

「そうか。刺身で一杯やろう」

　冒険４日目の夜は，こうして更けていった。







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